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  • 退塾後…

    初めての幼児教室を辞めたあと、しばらくは習い事に行かなかった

    第二子がお腹の中にいたからという理由もある

    しかし、頭の中では出産後に乳児期を連れていける第一子の次の習い事を考えていた

    発音が少し不明瞭な部分があったり、圧倒的な語彙の少なさがあったからだ

    だから、少しでも喋ったりしていたら動画で撮るようにしてた

    子供の為でもあり、自分の為でもあり、家族にみせる為でもあった

    自分の不安な気持ちを落ちつかせる為と言った方が近いかもしれない

    私は私なりに我が子の育児に向き合っているという記録が欲しかったのかもしれない

    この時代の私は周りから教育ママと言われたが

    本当はそうじゃない

    もし、今の私が当時の私に伝えることができるとしたら

    子供も大事だけど、自分を大切にしてほしい

    まずは、自分の心のケアが大事なんだよと伝えてあげたいくらい

    私の見ていた世界は不安という名の霧の中をずっと手探りで歩いていた

    普通の人はどうやってここを抜け出したのだろうか、そもそも霧の中にいないのだろうか

    出口がわからないまま

    一人で試行錯誤していたのだ

    もしかしたら、霧が晴れた場所から「大丈夫だよ」と声をかけてくれた人がいたかもしれない

    でもその声が私の中に届かないくらい不安の霧は濃かったんだと思う

  • 初めての幼児教室

    幼児教室に行き始めたきっかけは

    やはり自分自身の育児の自信の無さが一番だったと思う

    市で開催される母親交流会など、1度行ってみたが

    ここでも浮いてしまう感覚があり、行きづらくなった

    今思えば、以前、診断された社交不安障害がずっと私の根底にあったのだと思う

    診断後、世間体を気にして通院もしていなかったから

    私が見ている世界は、ずっともやがかかっていたのだと…

    そのことに気づくのは10年後の事だった(この話はまたいずれ書く予定)

    少し、脱線したが、私が過干渉と言われた主な原因は子供の言動を見守ることが出来なかったからだ

    隣で口だししたり、手本を見せたりしてしまう

    私としては心配が故だったが、私の母も一緒にきていたりしていたため

    母に変に思われたくなくて

    親の顔色をここでも伺っていたのだと思う

    自分の子供が産まれても

    私は顔色を伺うくせがずっと続いていたのだ

    しかし、その時は私自身気づいていなかった

    そして、私の身近な家族も気づいていない

    それが普通だったから

    なので、過干渉と言われた時に、私がしていることは間違いなんだろうかと泣いた

    ここでも正解をもとめていたんだろう

    育児に正解なんてないのに

    まさか泣くとは先生も思っていなかっただろうが、その時の記憶があまりない

    そんな事があっても通いつづけたが、引越しをきっかけに辞めた

    リセット癖再発…

  • 乳児期の不安

    結婚を機に退職し、間もなく子供が産まれた

    母になった喜びもあったが

    不安な気持ちもたくさんかかえていた

    我が子は乳児期前半は抱っこをしないと寝なかったからだ

    病院で相談したりもしたが、授乳やミルクの量が足りないのでは?お腹が空いて眠りが浅いとかそんなことを言われたように思う

    ほぼ24時間抱っこ生活が2〜3ヶ月続いた

    そんな生活を続けていたから腱鞘炎にもなった

    初めての育児なので頼れると思って里帰りもしたが

    食事の支度はしてくれるけれども

    育児に関しては口は出すのに手はかしてくれず、睡眠不足と疲れもたまり1ヶ月で帰宅した

    今思えば

    お腹の中にずっといたからこそ、外への環境の変化に慣れるまで時間を要したんだと思う

    このころから環境の変化に敏感な特性の兆候はあったんだろう

    しかし、4〜5カ月くらいからベビーベッドで寝てくれるようになり

    安心して、当時はそれ以上深く考えなかった

    月日が経ち、1歳くらいから幼児教室に通い始めた頃、そこで聞くことになる

    このブログの最初にも書いた言葉

    「お母さん 過干渉になっている」と

    幼児教室の先生に言われたのだ

  • 社交不安障害をかかえたまま

    この時ですでに3度の転職

    日本ではあまり歓迎されない働き方だろう

    友人にも「すぐ辞めてしまうのはどうなんだろう 履歴書を汚しているような気がする」と言われた事もある

    真面目に働きすぎ 不器用すぎ ある程度は適当にやらないと じゃないと持たないよと

    私は確かに一生懸命だ

    その理由は私は組織の中のひとつの歯車だと思っていたから

    真面目に働く事で、組織全体の売上に繋がれば従業員に還元されるものと思っていたのだ

    でも組織故に、色々な考え方、働き方の人がいる

    他人に自分の仕事を押し付けることはしなかったが

    疎ましく思われたり

    逆に、利用されそうになったりする

    言動も変わっているのもあるのだろう

    とにかく浮いてしまうのだ

    そして、数年働いた後、結婚を機に退職した

  • 動悸と社交不安障害

    海外に行く前から緊張しいで、面接はもともと苦手だったが

    帰国後は更に悪化し、転職活動の度に動悸がひどくなっていった

    そして、ここから転職を繰り返す日々が続く

    ストレスがかかると動悸が発生することが増え、心身に支障をきたすようになったのだ

    とはいえ、最初は動悸の原因がわかっていなかったので

    数年間、循環器内科で定期的に検診を受けていた

    心臓の働きも弱かったし、不整脈もあったので、ずっと様子をみていたのだ

    数年間、様子を見ながら通院していたが、私の心が悲鳴をあげたのだろう

    いつも通り会社に出勤しようとしたある日、私の足は無意識に病院に向かっていた

    その時だったと思う

    先生から一言「心療内科に言った方がいい」と言われ、泣き崩れたのだ

    その後、心療内科で診断されたのが

    社交不安障害

    当時は心療内科に通うにも世間の目が気になる時代

    仕事は辞めたが、心療内科に通い続ける事はしなかった

    また、私の親もメンタルの弱さと考えていたため

    親は、社交不安障害という診断を受け入れられなかった

    そして、数ヶ月休んでまた違う会社に転職した

    根本的には何も解決していないのに

  • 日本帰国

    リエントリーショック

    当時はこの言葉自体を知らなかったが、

    3年半のオーストラリア生活は私に価値観や視野の変化をもたらし、帰国直後の生活に違和感を感じるようになったのだ

    古くからの友人達の反応は二つ

    好意的か否定的か

    元から輪の中にいるようでいなかった私だったが

    この当時は完全に輪の外にいた

    周りとの違いを感じ、衝突を避けるため、このあたりから当たり障りのない顔を作るようになる

    本当の自分を隠して周りに合わせ続けることは、想像以上に消耗した

    気づけば、小さなストレスにも身体が反応するようになっていた

    ストレス耐性が下がっていた上に、日本特有の同調圧力が追い打ちをかけたのだろう

  • オーストラリアでの大学生活〜その後〜

    別キャンパスに移り、新しい生活が始まった

    ここでは友人も出来たから

    今回のリセット癖は良い方向に進んだ

    図書室での勉強が一番捗るので、講義以外の時間は大学の図書室で過ごしていた

    そこで、一緒に勉強をしたいと話しかけてくれるクラスメイトもいたが

    搾取じゃなくて、共同で作り上げたりてくれる関わり方だったから、安心して私は勉強ができた

    こうして書いてみると、異国の地へ行っても、人間関係は常に受け身であったなと思う

    良くも悪くも…

    もしかしたら、私が通っていた大学は留学生が多かったので

    私に話しかけてくれた人達は何かしらの孤独感を持ち合わせていたのかもしれない

    そういうものを実感した毎日でもあった

    安定した日々は続き、大学は無事に卒業できた

    当時はやり切った気持ちでいっぱいだ

    しかし、私が目標としていた永住権は取れなかった

    実力不足…

    仕方ないけど悔しかった

    後ろ髪を引かれながらオーストラリアをあとにした

    日本に帰国

    帰国後、思いもよらぬことが起きた

    リエントリーショックだ

  • オーストラリアでの大学生活〜後編〜

    図書室で勉強するのをやめて、自宅で勉強するようになったら今度は携帯がよく鳴るようになった

    あの三人組からだ

    離れないと、卒業するまで私はカモネギ状態になる…

    そう判断した私は、別キャンパスに移ることに決めた

    カモネギになんてなりたくない

    でも絶対卒業したい

    そんな日々を過ごし、期末試験を終えた日

    帰り際に先生から声をかけられた

    「あなたのされてきた事はわかってる そして、あなたが1人で勉強を必死にやってきたことも知っている だから別キャンパスで頑張ってね」

    と声をかけてくれた

    先生は知っていたのだ

    同じ女性として、私が怖くて言えない事も…

    私の安全を考慮しつつ、最後まで見てみぬふりをしてくれていた

    減点もされなかった

  • オーストラリアでの大学生活〜中編〜

    私が通っていた大学は留学生がたくさんいた

    その中のある国の男性3人組に目をつけられてしまう

    始まりは、私の名前の音がその国の女性の名前の一つとしてあるらしく、親近感を持たれたことだ

    大学に友達もいなかったので、大学の図書室で一人で勉強していたのだが、いつからかその3人組が近寄ってきて、私の勉強内容をみるようになった

    そしてここからが最悪…

    私が書いたレポートや小論文を全部みせるように言ってきたのだ

    いわゆるチート行為…

    何回か断った でも彼らは諦めない

    私も次第に怖くなった

    だってここに私の知り合いは誰もいない

    先生に言う?

    先生は最初の講義が始まる前に言っていた

    チート行為はさせた側もした側もどちらの立場も減点にすると

    しかし、国が違えは文化も違う人達だ

    報復されることが一番怖い

    減点も嫌だが、自分の命の方が大事

    考えすぎかもしれない

    でもここでは自分の事は自分で守らないといけないと

    自分に言い聞かせてみせるようになった

    自分の努力を他人にタダで奪わられる屈辱感

    この3人組と教室で一緒になるたびに動悸が起こり始めた

    このあたりから、ストレスを感じると動悸がでるようになる

    しかし、結果だけは今までと違うことが起きた

  • オーストラリアでの大学生活〜前編〜

    前にも書いたように、オーストラリア生活は私にとって居心地が良かったので

    語学学校→カレッジ→ユニバーシティ

    と時間をかけて進学していった

    大学まで通った理由としては永住権が取りたかったから

    あっ ちょっと自分軸発動してる 笑

    また、オーストラリア時代は日本でなかなかやめられなかった過食も自然とやめられた

    最初は太ったりしてしまうこともあったが

    いつのまにか気にしなくなり

    人生の中で一番勉強していた時期でもあったため、自然と痩せていったからである

    そして、周りに影響されてなのか、少しずつ自分視点で物事を考えるようになった

    どこの大学にいくか、また何を学ぶかも自分で決めた

    しかしこの自分で決めた自分視点の行動がのちにまた自分自身の首をしめることにもなる

    大学生活の始まりは最悪だった

    予期しないことが起きてしまうのが私…