カテゴリー: 診断・子育て

  • 適応障害

    適応障害と診断された日…

    10年以上前に社交不安障害と診断された時と同様に、涙が溢れ出た

    ただ、昔と違ったのは、その日にカウンセリングを受け、その後も心療内科へ通い続けたこと

    その日に話を聞いてくれた心理士の方は、私の話を聴きながら、こう言った

    「今日来ていなかったら、数ヶ月以内に鬱になっていただろう」

    ここに来ていた時点で、私はかなりの抑うつ状態であった

    自分も周りも気づいていなかった、私の中でくすぶり続けていた問題

    そんな話をしながら、私はまだ最後に笑顔でいなきゃといつづけた

    泣いても最後は笑顔で会話を終わらしたい

    頭の中ではお礼を言わなきゃとかばかり考えていた

    そんな時にまで、人のことばかり考えている自分に、我ながら闇が深いと思う

    笑ってごまかすことが、いつの間にか癖になっていた

    しかし、ここからがまだ長い

    診断を受けたところですぐには良くならないし、気分の浮き沈みも激しい

    それでも、いつから働けるのかを考え、求職活動まで行ってしまっていた

    休むべき時期に、また動こうとしていた

    人は簡単には変われない

  • 診断後…

    診断を受けた際の気持ちは「やっぱりそうだったんだ」

    という安堵感が大きかったように思う

    産まれてから、なんか周りと違うような違和感を無意識に感じていたから

    でも周りと私とで見ている世界が違っていて

    周りの基準に必死にあわせようとしていた

    合わせることに必死で、自分がどう感じているかは後回しだった

    しかし、まだこの時点での私は

    発達障害というものを完全に理解したわけではない

    発達障害を持ちながら、普通の人達と上手く付き合えるにはどうしたらよいかばかり考えてた

    パートも始めていて、自分自身に余裕がなかった

    そうやって、私はまた「合わせること」を子供にも求めていた

    我が子にも自分が生きてきた

    輪の中にいるようでいない生活をさせようとしていた

    それも無意識に

  • 発達障害の診断

    産後、生後2ヶ月の第二子を連れながら、また新しい幼児教室に通い始めた

    その幼児教室は母子分離で行われる

    私が過干渉にならない状況を選んだのだ

    問題は私自身の内側にあるのに、ずーっと外側に正解を求めていた

    自分の体力も復活していない時期から、必死だった

    このあたりから私自身も咳喘息にかかったり、体調を崩すことが増えた

    身体にもサインが出ていたのに、当時は気づく余裕がなかった

    しばらくして、3歳児健診の案内が来た

    健診はなんとか無事に終わったが

    最後の育児相談で我が子の言葉の不明瞭さを相談し、専門医に診てもらえることになった

    しかし、とても混雑していて

    実際に診てもらえたのは半年後…

    発達障害の診断がおりたのは、その数ヶ月後だった

  • 退塾後…

    初めての幼児教室を辞めたあと、しばらくは習い事に行かなかった

    第二子がお腹の中にいたからという理由もある

    しかし、頭の中では出産後に乳児期を連れていける第一子の次の習い事を考えていた

    発音が少し不明瞭な部分があったり、圧倒的な語彙の少なさがあったから

    だから、少しでも喋ったりしていたら動画で撮るようにしてた

    子供の為でもあり、自分の為でもあり、家族にみせる為でもあった

    自分の不安な気持ちを落ちつかせる為と言った方が近いかもしれない

    私は私なりに我が子の育児に向き合っているという記録が欲しかったのかもしれない

    この時代の私は周りから教育ママと言われたが

    本当はそうじゃない

    もし、今の私が当時の私に伝えることができるとしたら

    子供も大事だけど、自分を大切にしてほしい

    まずは、自分の心のケアが大事なんだよと伝えてあげたいくらい

    私の見ていた世界は不安という名の霧の中をずっと手探りで歩いていた

    普通の人はどうやってここを抜け出したのだろうか、そもそも霧の中にいないのだろうか

    出口がわからないまま

    一人で試行錯誤していたのだ

    もしかしたら、霧が晴れた場所から「大丈夫だよ」と声をかけてくれた人がいたかもしれない

    でもその声が私の中に届かないくらい不安の霧は濃かったんだと思う

  • 初めての幼児教室

    幼児教室に行き始めたきっかけは

    やはり自分自身の育児の自信の無さが一番だったと思う

    市で開催される母親交流会など、1度行ってみたが

    ここでも浮いてしまう感覚があり、行きづらくなった

    今思えば、以前、診断された社交不安障害がずっと私の根底にあったのだと思う

    診断後、世間体を気にして通院もしていなかったから

    私が見ている世界は、ずっともやがかかっていたのだと…

    そのことに気づくのは10年後の事だった(この話はまたいずれ書く予定)

    少し、脱線したが、私が過干渉と言われた主な原因は子供の言動を見守ることが出来なかったからだ

    隣で口だししたり、手本を見せたりしてしまう

    私としては心配が故だったが、私の母も一緒にきていたりしていたため

    母に変に思われたくなくて

    親の顔色をここでも伺っていたのだと思う

    自分の子供が産まれても

    私は顔色を伺うくせがずっと続いていた

    しかし、その時は私自身気づいていなかった

    そして、私の身近な家族も気づいていない

    それが普通だったから

    なので、過干渉と言われた時に、私がしていることは間違いなんだろうかと泣いた

    ここでも正解をもとめていた

    育児に正解なんてないのに

    まさか泣くとは先生も思っていなかったと思うが、その時の記憶があまりない

    そんな事があっても通いつづけたが、引越しをきっかけに辞めた

    リセット癖再発…

  • 乳児期の不安

    結婚を機に退職し、間もなく子供が産まれた

    母になった喜びもあったが

    不安な気持ちもたくさんかかえていた

    我が子は乳児期前半は抱っこをしないと寝なかったから

    病院で相談したりもしたが、授乳やミルクの量が足りないのでは?お腹が空いて眠りが浅いとかそんなことを言われたように思う

    ほぼ24時間抱っこ生活が2〜3ヶ月続いた

    そんな生活を続けていたから腱鞘炎にもなった

    初めての育児なので頼れると思って里帰りもしたが

    食事の支度はしてくれるけれども

    育児に関しては口は出すのに手はかしてくれず、睡眠不足と疲れもたまり1ヶ月で帰宅した

    今思えば

    お腹の中にずっといたからこそ、外への環境の変化に慣れるまで時間を要したんだと思う

    このころから環境の変化に敏感な特性の兆候はあったんだろう

    しかし、4〜5カ月くらいからベビーベッドで寝てくれるようになり

    安心して、当時はそれ以上深く考えなかった

    月日が経ち、1歳くらいから幼児教室に通い始めた頃、そこで聞くことになる

    このブログの最初にも書いた言葉

    「お母さん 過干渉になっている」と

    幼児教室の先生に言われた

  • 社交不安障害をかかえたまま

    この時ですでに3度の転職

    日本ではあまり歓迎されない働き方だろう

    友人にも「すぐ辞めてしまうのはどうなんだろう 履歴書を汚しているような気がする」と言われた事もある

    真面目に働きすぎ 不器用すぎ ある程度は適当にやらないと じゃないと持たないよと

    私は確かに一生懸命だ

    その理由は私は組織の中のひとつの歯車だと思っていたから

    真面目に働く事で、組織全体の売上に繋がれば従業員に還元されるものと思っていたから

    でも組織故に、色々な考え方、働き方の人がいる

    他人に自分の仕事を押し付けることはしなかったが

    疎ましく思われたり

    逆に、利用されそうになったりする

    言動も変わっているのもあるのだろう

    とにかく浮いてしまう…

    そして、数年働いた後、結婚を機に退職した

  • 動悸と社交不安障害

    海外に行く前から緊張しいで、面接はもともと苦手だったが

    帰国後は更に悪化し、転職活動の度に動悸がひどくなっていった

    そして、ここから転職を繰り返す日々が続く

    ストレスがかかると動悸が発生することが増え、心身に支障をきたすようになった

    とはいえ、最初は動悸の原因がわかっていなかったので

    数年間、循環器内科で定期的に検診を受けていた

    心臓の働きも弱かったし、不整脈もあったので、ずっと様子をみていた

    数年間、様子を見ながら通院していたが、私の心が悲鳴をあげたんだと思う

    いつも通り会社に出勤しようとしたある日、私の足は無意識に病院に向かっていた

    その時だった

    先生から一言「心療内科に言った方がいい」と言われ、泣き崩れた…

    その後、心療内科で診断されたのが

    社交不安障害

    当時は心療内科に通うにも世間の目が気になる時代

    仕事は辞めたが、心療内科に通い続ける事はしなかった

    また、私の親もメンタルの弱さと考えていたため

    親は、社交不安障害という診断を受け入れられなかった

    そして、数ヶ月休んでまた違う会社に転職した

    根本的には何も解決していないのに