投稿者: dreamer_ufd_7153

  • エゴと愛、自己犠牲

    わたしには二人の子供がいる

    性格も好みも真逆…

    喧嘩もするけど仲はとても良い

    ただ、大変なことはたくさんあった

    わたしのエゴで育てていたときもあった

    周りの視線を気にしていたときもあった

    ひとりは自分の意思を内に秘めるタイプ

    もう一人は自分の意思を外に表すタイプ

    タイプは違えど、私の思い描いていた育児とは程遠い育児だった

    あの時の私は育児で余裕がなくなって、追い詰められていた

    わたしに二人の子供がいるのは

    一人は子どものころのわたし自身を投影させたような存在

    この子はわたし自身の育て直しだと思っている

    もう一人は自分自身を大切にすることを教えてくれる存在

    自分が嫌なことは絶対しないから、今のわたしにとって気づきのような存在

    エゴの視点から見ると、二人とも育てづらいと思う

    もちろん、育児で我慢することが普通だったし、わたしの自己犠牲も進んだように思う

    我慢すれば、全部スムーズにおさまったし、

    自分の感情に蓋をすれば誰も傷つかないって思ってた

    愛の視点からみると、新しいわたしになるための気づきの存在なのかなと思う

    おそらくこの二人を育てることと、自分の気持ちを優先させること、この矛盾した気持ちのどちらも大切に扱うためにはどうしたら良いのかが

    私の今の課題なんだと思う

  • 過去に興味がなくなる理由

    わたしは長期的な目標に興味がない

    未来も過去も、今に重心があるから

    計画的じゃないタイプ

    ほぼ直感で決める

    現実はあとになってわかるから

    もちろん失敗も挫折も後悔も残るときもある

    でも時間がたつと、それがどうでもいいことになるのもわかってる

    だから、苦しい感情に飲み込まれそうになっても、自分で自分の機嫌はとるようにしてる

    自分でやらかしたことは自分のなかで時間をかけて消化する

    誰かに裏切られたと、後でわかってもやり返すことはしない

    それは過去の自分を否定することになるから

    自分の見る目がなかったんだと思うようにしてる

    自分の課題と向き合うきっかけだとわかったから

    やり返さずに、ただ終わりにする

    辛いことはたくさんある

    ただ楽しいこともたくさんある

    一つの縁が終わればまた新しい縁が来ることもわかっている

    だから過去を忘れていくのかもしれない

    ま、波はあるけど

    その揺らぎを味わえるようになったら

    人生楽しめるようになるのかな

  • 手のひら返しの構造

    AIドラマを見ていて気づいたことがある

    ヒロインと悪女がいて、周りが悪女に騙される話

    最終的にヒロインの無実が証明されて、悪女は因果応報の結末になるのだが

    これって現実世界でもよくある

    最初、周りは、見たいものを見て信じていた

    それは、悪女の話の方が自分達にとって都合がいいものばかりだから(とくにエゴを刺激されて、快感に感じるのかもしれない)

    しかし、真実がわかると、「騙された」側に回って被害者になる

    悪女を責めることで、自分たちの見る目のなさや課題から目をそらす

    反省じゃなくて、「騙された自分」を守るための怒り

    ヒロインへの後悔も、ヒロインのためというより、自分たちが楽になるためのもの

    愛じゃなくてエゴで繋がっていた関係に酔いしれていたからだと思う

    エゴが肥大化している世界では、誰しも陥りやすい

    それは私もふくめて、だと思う

    関連記事:飽きるのは構造がみえるから

  • 他人に興味がないのに、人に関心をもたれてしまう

    前のブログでも少し言及したが、わたしは他人に興味がない

    他人の感情をもらいやすいので疲れてしまう

    ある意味、防衛反応みたいなもの

    ただ、他人からは関心をもたれやすい

    あまり自分から主張しないからか、喋らないからか、また変わっているかはわからない

    周りからみても輪の中にいない私が特異的に見えてるのかもしれない

    関心にはポジティブなもの、ネガティブなものが混同している

    わたしは気づくけど、いつも気づかないふりをしていた

    過去の経験上、、反応するとエスカレートするから

    ここでもまた他人のエゴに巻きこまれる

    いつものパターンに疲弊し、周りに理解されないことに苛立ちをかかえていた時期もあった

    いまは、この前のブログにも述べたが相手の課題を背負わないようにしているので

    落ちることはあるが、前よりは引きずらないようになった

    ただ違う視点からみたら、私は満たされてるようにみえるのかもしれない

    満たされているように見えるから、相手が不満を持っている原因の元を口実に私に口出しをしてくる

    その課題は私じゃなくて、相手の課題

    私をはけ口にしているだけ

    そのことに相手は気づいていない

    優位に立つことに必死なのかもしれない

    でも実際は違う

    自分の機嫌は自分でとっている

    わざわざネガティブなことは話さないだけだ

    それは誰かを傷つけてしまうかもしれないから

    わたしは人に対して最低限のリスペクトを持って対応しているだけ

    そこに気づかない人たちが、表面だけで判断しているのだと思う

    だから私は、わかってもらおうとしすぎないことにした

    関連記事:オーストラリア
  • 相手の課題を、背負わなくなってきた話

    この間、姉と二人で話す機会を設けた
    私の発達検査の結果について話を聞きたいと言ってくれたから

    父と母には言わなかった
    父と母は高齢者だし、話したところで理解することもできないだろうから、話していない

    姉は「他人には理解してもらえないかもだけど、理由があるって自分で思えたから良かったね」

    みたいなことを言ってくれた

    最近、わたしは自分の開示を始めている
    少しずつ、本来の私を見せ始めている

    もともと変わっているとは言われていたけれど、

    それでも空気を読んで振る舞っていた部分もあるから、

    中にはびっくりするような人もいるかもしれない

    でも、理解されなくてもいいと思っているから、

    わたしはわたしでいいの

    周りと見ている世界が違うことを、話している

    身近なところで言うと、以前は、

    父と母にお世話になっているという気持ちが根底にあった

    だから、不満や愚痴を聞いても、ただ黙って聞いていた

    ただ、不満や愚痴は大体、その人自身の課題から出ていることが多い

    だから、相手をコントロールできない話は、やんわり受け流している

    これは、境界線の話でもあると思う

    相手の不満や愚痴は、相手の課題

    私が解決することでも、背負うことでもない

    聞くことと、受け取ることは別

    境界線があいまいだと、相手の感情まで、自分のものとして抱えてしまう

    だから私は、「聞くけど、受け取らない」ようにしている

    理解されなくてもいい、というのも、同じところにつながっている

    私の課題は、わたしでいること

    相手がどう思うかは、相手の課題

    前はできなかったことが少しずつ出来るようになったかな

  • 暇だと用事を探す癖

    私は、暇になると用事を探してしまう

    何もしない時間が落ち着かなくて、「何かやることないかな」と探し始める

    なぜだろう、と考えてみた

    私はほぼ一日中、考えごとをしている
    ボーッとしているようで、していない
    このブログを書きながらも考えている

    だから、一人でいると、周りから「表情がコロコロ変わるね」と言われることもよくあった

    私の考えごとは、表情によく出るらしい

    脳内で一人トークをしているからかもしれない

    そんな私が、脳内トークをしないときがある
    歌を歌っているときだ

    イヤホンで音楽を聴きながら歌うのが好き

    カラオケは好きじゃないけど

    自分を癒すために、元気づけるために、一人で歌う

    もしかしたら、暇だと用事を探す癖は、have to思考が原因のひとつかもしれない

    歌っているときは、「歌いたい(want to)」だけで動いている

    でも、want toがないと、「何かしなきゃ(have to)」という思考が出てくる

    何もしなくていい時間に、安心していられたら、少し楽になるのかもしれない…

    みなさんは、暇なとき、どうしていますか?

  • 縁が終わるのは、構造だったのかもしれない

    昨日、「飽きるのは構造が見えるから」という記事を書いた

    そのあと、人間関係も同じ見方ができるかもしれないと思ったので、

    書き留めておく

    境界線とエゴのブログでも書いたが、

    相手を尊重したいから、傷つけたくないからと下手に出ていたから

    相手のエゴを助長させてしまったのではないかと

    私は推測していたが、

    下手に出ても、それで相手が調子に乗るなら

    それは、もともと相手の課題なのではないかと思い始めた

    エゴは誰でも持っている

    しかし、相手の慢心でエゴが助長しているのでないか

    私がきっかけを作ったとしても、相手に慢心があれば、誰が相手でもエゴが膨らむ

    もうそれは相手の課題であって私には関係がない

    相手が自分の課題と向き合わないならば縁が終わる

    だから、縁が終わるのは、

    自然なようで、実は必然だったのかもしれない

    関連記事:境界線とエゴ

  • 飽きるのは構造をみてるから

    AIドラマにハマっていた

    心、身体、頭脳、内に秘める強さをもった女性主人公が好きだから

    そのはずなのに、パターンが読めてくると

    なんか退屈になってしまった

    そう、

    興味があるときは一気に集中する

    でも新しい発見がなくなると一気に興味がなくなる

    その理由をちょっと考えてみた

    ことばたらずのブログでも書いたがわたしは非言語能力が高い

    処理速度も高い

    違うストーリーでも根本にあるパターンが一緒だと

    新鮮さを感じなくて飽きるのかも

    多分、表面じゃなくて構造をみてるから

    話が変わるが、私は髪型もよく変える

    理由は飽きるから

    飽きたら変える

    それでバランスを取っているのかもしれない

    これもひとつの生きづらさなのかも

    関連記事:ことばたらず
  • 愛とエゴ

    愛とエゴは違う

    でもエゴが愛だと思っていたこともあった

    エゴと愛が別であることはおそらく経験しないとわからないと思う

    エゴで育てられた人はエゴが愛だと思うから

    それが連鎖のように続く

    エゴと愛の違いに気づく時

    ものすごく苦しかった

    抜け出したきっかけは

    「型」がない生き方でも書いたが、

    自分を受け入れたときに、子供達に対してやっと「型」を外す事ができた時だ

    ありのままの私を愛そうと決めた時

    自分自身の愛しかたがわからないと愛を与えてあげられないと気づいた時

    でも気づいてしまうと、世の中の見方がまるで変わってしまう

    自分でもびっくりするくらいに…

    しかし私の中にエゴがないかと言えばそれは違う

    エゴはある

    ただその連鎖をやめたいと思っている

    子供達に引き継がせたくないから

    ただ私もよくわかっていないから

    それも私の人生実験の一つかな

    そう多分、葛藤と矛盾は続いていくんだと思う

    関連記事:「型」がない生きかた
  • AIドラマ

    普段、テレビをみない私

    感情もらってしんどくなったり

    理由はわからないけどノイズに感じてしまったりするから

    昔はテレビ好きだった

    出産してからみなくなって

    いつからかノイズになった

    エンタメが私にとって娯楽ではなく虚像にみえるようになったからかな

    でも中身はリアルな人間

    そんな人間たちの虚像に興味がなくなったのかも

    そんな私は最近 AIドラマにはまっている

    AIだから存在自体が虚像

    虚像が虚像を生み出す

    でも感じる感情はリアル

    感情移入しちゃうけど、リアルな人間じゃないから

    安心してみられるのかな