カテゴリー: 子育て

  • エゴと愛、自己犠牲

    わたしには二人の子供がいる

    性格も好みも真逆…

    喧嘩もするけど仲はとても良い

    ただ、大変なことはたくさんあった

    わたしのエゴで育てていたときもあった

    周りの視線を気にしていたときもあった

    ひとりは自分の意思を内に秘めるタイプ

    もう一人は自分の意思を外に表すタイプ

    タイプは違えど、私の思い描いていた育児とは程遠い育児だった

    あの時の私は育児で余裕がなくなって、追い詰められていた

    わたしに二人の子供がいるのは

    一人は子どものころのわたし自身を投影させたような存在

    この子はわたし自身の育て直しだと思っている

    もう一人は自分自身を大切にすることを教えてくれる存在

    自分が嫌なことは絶対しないから、今のわたしにとって気づきのような存在

    エゴの視点から見ると、二人とも育てづらいと思う

    もちろん、育児で我慢することが普通だったし、わたしの自己犠牲も進んだように思う

    我慢すれば、全部スムーズにおさまったし、

    自分の感情に蓋をすれば誰も傷つかないって思ってた

    愛の視点からみると、新しいわたしになるための気づきの存在なのかなと思う

    おそらくこの二人を育てることと、自分の気持ちを優先させること、この矛盾した気持ちのどちらも大切に扱うためにはどうしたら良いのかが

    私の今の課題なんだと思う

  • 発達障害の診断

    産後、生後2ヶ月の第二子を連れながら、また新しい幼児教室に通い始めた

    その幼児教室は母子分離で行われる

    私が過干渉にならない状況を選んだのだ

    問題は私自身の内側にあるのに、ずーっと外側に正解を求めていた

    自分の体力も復活していない時期から、必死だったのだ

    このあたりから私自身も咳喘息にかかったり、体調を崩すことが増えた

    身体にもサインが出ていたのに、当時は気づく余裕がなかった

    しばらくして、3歳児健診の案内が来た

    健診はなんとか無事に終わったが

    最後の育児相談で我が子の言葉の不明瞭さを相談し、専門医に診てもらえることになった

    しかし、とても混雑していて

    実際に診てもらえたのは半年後…

    発達障害の診断がおりたのは、その数ヶ月後だった

  • 退塾後…

    初めての幼児教室を辞めたあと、しばらくは習い事に行かなかった

    第二子がお腹の中にいたからという理由もある

    しかし、頭の中では出産後に乳児期を連れていける第一子の次の習い事を考えていた

    発音が少し不明瞭な部分があったり、圧倒的な語彙の少なさがあったからだ

    だから、少しでも喋ったりしていたら動画で撮るようにしてた

    子供の為でもあり、自分の為でもあり、家族にみせる為でもあった

    自分の不安な気持ちを落ちつかせる為と言った方が近いかもしれない

    私は私なりに我が子の育児に向き合っているという記録が欲しかったのかもしれない

    この時代の私は周りから教育ママと言われたが

    本当はそうじゃない

    もし、今の私が当時の私に伝えることができるとしたら

    子供も大事だけど、自分を大切にしてほしい

    まずは、自分の心のケアが大事なんだよと伝えてあげたいくらい

    私の見ていた世界は不安という名の霧の中をずっと手探りで歩いていた

    普通の人はどうやってここを抜け出したのだろうか、そもそも霧の中にいないのだろうか

    出口がわからないまま

    一人で試行錯誤していたのだ

    もしかしたら、霧が晴れた場所から「大丈夫だよ」と声をかけてくれた人がいたかもしれない

    でもその声が私の中に届かないくらい不安の霧は濃かったんだと思う

  • 初めての幼児教室

    幼児教室に行き始めたきっかけは

    やはり自分自身の育児の自信の無さが一番だったと思う

    市で開催される母親交流会など、1度行ってみたが

    ここでも浮いてしまう感覚があり、行きづらくなった

    今思えば、以前、診断された社交不安障害がずっと私の根底にあったのだと思う

    診断後、世間体を気にして通院もしていなかったから

    私が見ている世界は、ずっともやがかかっていたのだと…

    そのことに気づくのは10年後の事だった(この話はまたいずれ書く予定)

    少し、脱線したが、私が過干渉と言われた主な原因は子供の言動を見守ることが出来なかったからだ

    隣で口だししたり、手本を見せたりしてしまう

    私としては心配が故だったが、私の母も一緒にきていたりしていたため

    母に変に思われたくなくて

    親の顔色をここでも伺っていたのだと思う

    自分の子供が産まれても

    私は顔色を伺うくせがずっと続いていたのだ

    しかし、その時は私自身気づいていなかった

    そして、私の身近な家族も気づいていない

    それが普通だったから

    なので、過干渉と言われた時に、私がしていることは間違いなんだろうかと泣いた

    ここでも正解をもとめていたんだろう

    育児に正解なんてないのに

    まさか泣くとは先生も思っていなかっただろうが、その時の記憶があまりない

    そんな事があっても通いつづけたが、引越しをきっかけに辞めた

    リセット癖再発…

  • 乳児期の不安

    結婚を機に退職し、間もなく子供が産まれた

    母になった喜びもあったが

    不安な気持ちもたくさんかかえていた

    我が子は乳児期前半は抱っこをしないと寝なかったからだ

    病院で相談したりもしたが、授乳やミルクの量が足りないのでは?お腹が空いて眠りが浅いとかそんなことを言われたように思う

    ほぼ24時間抱っこ生活が2〜3ヶ月続いた

    そんな生活を続けていたから腱鞘炎にもなった

    初めての育児なので頼れると思って里帰りもしたが

    食事の支度はしてくれるけれども

    育児に関しては口は出すのに手はかしてくれず、睡眠不足と疲れもたまり1ヶ月で帰宅した

    今思えば

    お腹の中にずっといたからこそ、外への環境の変化に慣れるまで時間を要したんだと思う

    このころから環境の変化に敏感な特性の兆候はあったんだろう

    しかし、4〜5カ月くらいからベビーベッドで寝てくれるようになり

    安心して、当時はそれ以上深く考えなかった

    月日が経ち、1歳くらいから幼児教室に通い始めた頃、そこで聞くことになる

    このブログの最初にも書いた言葉

    「お母さん 過干渉になっている」と

    幼児教室の先生に言われたのだ

  • 中学生活

    友達できなかったらどうしようなんて考えていたけど

    話しかけてくれる子達がいて友達ができた

    ここでも受け身…

    そして1番話しかけてくれたこと同じ部活に入った

    またしても…動機が不純…笑

    しかも、受験失敗をひきづったまま

    やりたいこと、夢なんてなくて、ただ惰性で生きてる感じ

    惰性で生きてるけど、孤独

    だから誰かと一緒にいたい気持ちが強かったんだと思う

    部活も全くやる気なくて、いかに理由をつけてサボるかしか考えてなかった

    やだ…塾と一緒

    人間そんなすぐには変わらない…

    あっ でも変わったこともある

    試験勉強をやるようになった

    しかしこれには理由がある

    部活の友達は好きだったけど、学校は大嫌いだったからだ

    同じ学区の学校に行きたくない

    中学受験の失敗を取り戻したい

    それが根っこにあったかな

    ただ夢ではなくて逃げるため

    だから私立だったらどこでもよくて

    結局..親が決めた大学附属があって…大学卒業したら女の子にとって手に職がつけそうな高校を選んだ

    選んだんじゃないや

    乗っかっただけ

    そのくらい受験の挫折感や小学校の友達との別れの寂しさが、私の奥底でくすぶっていたのだろう

    このあたりから自分軸と他人軸の境界線が曖昧になったのかな

    どうしたいかじゃなくて、どう見られるかを気にしていたのかも

    当時のことだから何が本当かは今となってはわからないが…

  • こどものころ

    記憶ってところどころ消えるし

    自分が見てきた現実と自分以外の人達が見てきた現実が違ったりすることがあるから、、、ぶっちゃけ真実ってない気がする

    っていう上で書くと…

    私以外の人からみた私は人見知り、内向的、泣き虫、気にしすぎらしい

    私の中の認識でいうと…

    人見知り=他人の顔色を伺ってる

    理由としては争いが苦手

    なんで苦手かというと他人の感情が私の中に入ってきて自分の感情なのか相手の感情をもらっているのかわからなくなって、しんどいから

    内向的=言葉で表現できない

    自分の感情を表す適切な言葉がわからないから

    泣き虫=人見知りと内向的部分が重なった結果

    言葉で表現できない、他人の感情も入り混じる、わけわからなくて泣くみたいな

    気にしすぎ=私の性格のひとつ

    気にしたくて気になってるわけではない

    むしろ気にしたくない

    でも気にしてしまう

    もともとの性格のひとつ

    他にも言われた気がするが、、、上の言葉をまとめると「変わってるねー」になるらしい

    多分、言動も普通っぽくないから浮いてるんだと

    勉強は人並みに出来たからそんな苦労はしなかった

    けど友達作りは苦手で、いつも受け身だった

    ただ女の子三角関係みたいなものは常にあり…

    なんで3人で仲良くしないの

    なんで2対1になろうとするのかわからなかった

    人間関係の複雑さはこどものころからの悩みだった

    とか、、、なんか常に孤独だったんだよな

    この気持ちを分かり合える人に出会いたいみたいな

    いま思えば、自分と一緒の人なんていないんだけど、物事を多角的に見れなかったし…今も見れてるかはわからないけど

    多角的にみることが私には難しかったんだと思う

    それはつまりありのままの私を肯定されてなかったからだと思う

    もしあのときありのままの私でいいって言われていたら、他の人との違いもすんなり受け入れていたのかな

    なんて…今となっては憶測だけど

  • 第一章 変わってるね

    小さいころから言われ続けた言葉

    「変わってるね…」

    自分では何が変わっているのかわからない

    だから周りの顔色ばかり伺ってた

    正解をもとめて

    「思春期は変わってるって何?」って尖ってた時期もあった

    周りの普通がわからない

    普通はこうだよって言われて普通のふりしてるつもりだけど…変わっているから浮くらしい…

    だからずっとコンプレックスだった

    自分の変わってる部分

    組織の中にいると浮く個性

    転職ばかりしてた…

    子育て11年目

    子供が産まれて、過干渉になった

    習い事の先生に過干渉気味って言われて落ち込んだ

    周りから変わってるねって自分の子供に言ってほしくないから、過干渉になっていた

    子供は発達障害だった

    そのとき、、、私は、、、なぜか安堵した

    あっ、、、自分の子育てが駄目じゃなかったんだって

    でもまだ子供にありのままでいいって言えなかった

    なぜならば、、、私はありのままの私を肯定された記憶がないから

    恵まれていた環境にいたけれど、心はずっと孤独だった

    そして2週間前、私自身も発達検査を受けにいった

    自分が発達障害かを確かめるんじゃなくて、自分の取説が欲しかったから

    客観的な自分のデータを知りたくて

    ある意味、、、生き直しをするため

    生きづらさを抱えている人と繋がりたくてブログを始めてみました

    特性や育ってきた環境等、各々違うから共感するところもあれば全然そうじゃない部分もあるとおもいます

    ただ、否定じゃなくて、、

    わからなかったら、あっ、そういう生きづらさもあるんだなって

    各々の生きづらさをフラットに捉えられたら、生きやすさにつながるのかなーと

    わからないけど、、、自分の人生を実験だと思って書いてます