カテゴリー: 相手の課題

  • 手のひら返しの構造

    AIドラマを見ていて気づいたことがある

    ヒロインと悪女がいて、周りが悪女に騙される話

    最終的にヒロインの無実が証明されて、悪女は因果応報の結末になるのだが

    これって現実世界でもよくある

    最初、周りは、見たいものを見て信じていた

    それは、悪女の話の方が自分達にとって都合がいいものばかりだから(とくにエゴを刺激されて、快感に感じるのかもしれない)

    しかし、真実がわかると、「騙された」側に回って被害者になる

    悪女を責めることで、自分たちの見る目のなさや課題から目をそらす

    反省じゃなくて、「騙された自分」を守るための怒り

    ヒロインへの後悔も、ヒロインのためというより、自分たちが楽になるためのもの

    愛じゃなくてエゴで繋がっていた関係に酔いしれていたからだと思う

    エゴが肥大化している世界では、誰しも陥りやすい

    それは私もふくめて、だと思う

    関連記事:飽きるのは構造がみえるから

  • 他人に興味がないのに、人に関心をもたれてしまう

    前のブログでも少し言及したが、わたしは他人に興味がない

    他人の感情をもらいやすいので疲れてしまう

    ある意味、防衛反応みたいなもの

    ただ、他人からは関心をもたれやすい

    あまり自分から主張しないからか、喋らないからか、また変わっているかはわからない

    周りからみても輪の中にいない私が特異的に見えてるのかもしれない

    関心にはポジティブなもの、ネガティブなものが混同している

    わたしは気づくけど、いつも気づかないふりをしていた

    過去の経験上、、反応するとエスカレートするから

    ここでもまた他人のエゴに巻きこまれる

    いつものパターンに疲弊し、周りに理解されないことに苛立ちをかかえていた時期もあった

    いまは、この前のブログにも述べたが相手の課題を背負わないようにしているので

    落ちることはあるが、前よりは引きずらないようになった

    ただ違う視点からみたら、私は満たされてるようにみえるのかもしれない

    満たされているように見えるから、相手が不満を持っている原因の元を口実に私に口出しをしてくる

    その課題は私じゃなくて、相手の課題

    私をはけ口にしているだけ

    そのことに相手は気づいていない

    優位に立つことに必死なのかもしれない

    でも実際は違う

    自分の機嫌は自分でとっている

    わざわざネガティブなことは話さないだけだ

    それは誰かを傷つけてしまうかもしれないから

    わたしは人に対して最低限のリスペクトを持って対応しているだけ

    そこに気づかない人たちが、表面だけで判断しているのだと思う

    だから私は、わかってもらおうとしすぎないことにした

    関連記事:オーストラリア
  • 相手の課題を、背負わなくなってきた話

    この間、姉と二人で話す機会を設けた
    私の発達検査の結果について話を聞きたいと言ってくれたから

    父と母には言わなかった
    父と母は高齢者だし、話したところで理解することもできないだろうから、話していない

    姉は「他人には理解してもらえないかもだけど、理由があるって自分で思えたから良かったね」

    みたいなことを言ってくれた

    最近、わたしは自分の開示を始めている
    少しずつ、本来の私を見せ始めている

    もともと変わっているとは言われていたけれど、

    それでも空気を読んで振る舞っていた部分もあるから、

    中にはびっくりするような人もいるかもしれない

    でも、理解されなくてもいいと思っているから、

    わたしはわたしでいいの

    周りと見ている世界が違うことを、話している

    身近なところで言うと、以前は、

    父と母にお世話になっているという気持ちが根底にあった

    だから、不満や愚痴を聞いても、ただ黙って聞いていた

    ただ、不満や愚痴は大体、その人自身の課題から出ていることが多い

    だから、相手をコントロールできない話は、やんわり受け流している

    これは、境界線の話でもあると思う

    相手の不満や愚痴は、相手の課題

    私が解決することでも、背負うことでもない

    聞くことと、受け取ることは別

    境界線があいまいだと、相手の感情まで、自分のものとして抱えてしまう

    だから私は、「聞くけど、受け取らない」ようにしている

    理解されなくてもいい、というのも、同じところにつながっている

    私の課題は、わたしでいること

    相手がどう思うかは、相手の課題

    前はできなかったことが少しずつ出来るようになったかな

  • 縁が終わるのは、構造だったのかもしれない

    昨日、「飽きるのは構造が見えるから」という記事を書いた

    そのあと、人間関係も同じ見方ができるかもしれないと思ったので、

    書き留めておく

    境界線とエゴのブログでも書いたが、

    相手を尊重したいから、傷つけたくないからと下手に出ていたから

    相手のエゴを助長させてしまったのではないかと

    私は推測していたが、

    下手に出ても、それで相手が調子に乗るなら

    それは、もともと相手の課題なのではないかと思い始めた

    エゴは誰でも持っている

    しかし、相手の慢心でエゴが助長しているのでないか

    私がきっかけを作ったとしても、相手に慢心があれば、誰が相手でもエゴが膨らむ

    もうそれは相手の課題であって私には関係がない

    相手が自分の課題と向き合わないならば縁が終わる

    だから、縁が終わるのは、

    自然なようで、実は必然だったのかもしれない

    関連記事:境界線とエゴ