カテゴリー: 自分史

  • 乳児期の不安

    結婚を機に退職し、間もなく子供が産まれた

    母になった喜びもあったが

    不安な気持ちもたくさんかかえていた

    我が子は乳児期前半は抱っこをしないと寝なかったからだ

    病院で相談したりもしたが、授乳やミルクの量が足りないのでは?お腹が空いて眠りが浅いとかそんなことを言われたように思う

    ほぼ24時間抱っこ生活が2〜3ヶ月続いた

    そんな生活を続けていたから腱鞘炎にもなった

    初めての育児なので頼れると思って里帰りもしたが

    食事の支度はしてくれるけれども

    育児に関しては口は出すのに手はかしてくれず、睡眠不足と疲れもたまり1ヶ月で帰宅した

    今思えば

    お腹の中にずっといたからこそ、外への環境の変化に慣れるまで時間を要したんだと思う

    このころから環境の変化に敏感な特性の兆候はあったんだろう

    しかし、4〜5カ月くらいからベビーベッドで寝てくれるようになり

    安心して、当時はそれ以上深く考えなかった

    月日が経ち、1歳くらいから幼児教室に通い始めた頃、そこで聞くことになる

    このブログの最初にも書いた言葉

    「お母さん 過干渉になっている」と

    幼児教室の先生に言われたのだ

  • 社交不安障害をかかえたまま

    この時ですでに3度の転職

    日本ではあまり歓迎されない働き方だろう

    友人にも「すぐ辞めてしまうのはどうなんだろう 履歴書を汚しているような気がする」と言われた事もある

    真面目に働きすぎ 不器用すぎ ある程度は適当にやらないと じゃないと持たないよと

    私は確かに一生懸命だ

    その理由は私は組織の中のひとつの歯車だと思っていたから

    真面目に働く事で、組織全体の売上に繋がれば従業員に還元されるものと思っていたのだ

    でも組織故に、色々な考え方、働き方の人がいる

    他人に自分の仕事を押し付けることはしなかったが

    疎ましく思われたり

    逆に、利用されそうになったりする

    言動も変わっているのもあるのだろう

    とにかく浮いてしまうのだ

    そして、数年働いた後、結婚を機に退職した

  • 動悸と社交不安障害

    海外に行く前から緊張しいで、面接はもともと苦手だったが

    帰国後は更に悪化し、転職活動の度に動悸がひどくなっていった

    そして、ここから転職を繰り返す日々が続く

    ストレスがかかると動悸が発生することが増え、心身に支障をきたすようになったのだ

    とはいえ、最初は動悸の原因がわかっていなかったので

    数年間、循環器内科で定期的に検診を受けていた

    心臓の働きも弱かったし、不整脈もあったので、ずっと様子をみていたのだ

    数年間、様子を見ながら通院していたが、私の心が悲鳴をあげたのだろう

    いつも通り会社に出勤しようとしたある日、私の足は無意識に病院に向かっていた

    その時だったと思う

    先生から一言「心療内科に言った方がいい」と言われ、泣き崩れたのだ

    その後、心療内科で診断されたのが

    社交不安障害

    当時は心療内科に通うにも世間の目が気になる時代

    仕事は辞めたが、心療内科に通い続ける事はしなかった

    また、私の親もメンタルの弱さと考えていたため

    親は、社交不安障害という診断を受け入れられなかった

    そして、数ヶ月休んでまた違う会社に転職した

    根本的には何も解決していないのに

  • 日本帰国

    リエントリーショック

    当時はこの言葉自体を知らなかったが、

    3年半のオーストラリア生活は私に価値観や視野の変化をもたらし、帰国直後の生活に違和感を感じるようになったのだ

    古くからの友人達の反応は二つ

    好意的か否定的か

    元から輪の中にいるようでいなかった私だったが

    この当時は完全に輪の外にいた

    周りとの違いを感じ、衝突を避けるため、このあたりから当たり障りのない顔を作るようになる

    本当の自分を隠して周りに合わせ続けることは、想像以上に消耗した

    気づけば、小さなストレスにも身体が反応するようになっていた

    ストレス耐性が下がっていた上に、日本特有の同調圧力が追い打ちをかけたのだろう

  • オーストラリアでの大学生活〜その後〜

    別キャンパスに移り、新しい生活が始まった

    ここでは友人も出来たから

    今回のリセット癖は良い方向に進んだ

    図書室での勉強が一番捗るので、講義以外の時間は大学の図書室で過ごしていた

    そこで、一緒に勉強をしたいと話しかけてくれるクラスメイトもいたが

    搾取じゃなくて、共同で作り上げたりてくれる関わり方だったから、安心して私は勉強ができた

    こうして書いてみると、異国の地へ行っても、人間関係は常に受け身であったなと思う

    良くも悪くも…

    もしかしたら、私が通っていた大学は留学生が多かったので

    私に話しかけてくれた人達は何かしらの孤独感を持ち合わせていたのかもしれない

    そういうものを実感した毎日でもあった

    安定した日々は続き、大学は無事に卒業できた

    当時はやり切った気持ちでいっぱいだ

    しかし、私が目標としていた永住権は取れなかった

    実力不足…

    仕方ないけど悔しかった

    後ろ髪を引かれながらオーストラリアをあとにした

    日本に帰国

    帰国後、思いもよらぬことが起きた

    リエントリーショックだ

  • オーストラリアでの大学生活〜後編〜

    図書室で勉強するのをやめて、自宅で勉強するようになったら今度は携帯がよく鳴るようになった

    あの三人組からだ

    離れないと、卒業するまで私はカモネギ状態になる…

    そう判断した私は、別キャンパスに移ることに決めた

    カモネギになんてなりたくない

    でも絶対卒業したい

    そんな日々を過ごし、期末試験を終えた日

    帰り際に先生から声をかけられた

    「あなたのされてきた事はわかってる そして、あなたが1人で勉強を必死にやってきたことも知っている だから別キャンパスで頑張ってね」

    と声をかけてくれた

    先生は知っていたのだ

    同じ女性として、私が怖くて言えない事も…

    私の安全を考慮しつつ、最後まで見てみぬふりをしてくれていた

    減点もされなかった

  • オーストラリアでの大学生活〜中編〜

    私が通っていた大学は留学生がたくさんいた

    その中のある国の男性3人組に目をつけられてしまう

    始まりは、私の名前の音がその国の女性の名前の一つとしてあるらしく、親近感を持たれたことだ

    大学に友達もいなかったので、大学の図書室で一人で勉強していたのだが、いつからかその3人組が近寄ってきて、私の勉強内容をみるようになった

    そしてここからが最悪…

    私が書いたレポートや小論文を全部みせるように言ってきたのだ

    いわゆるチート行為…

    何回か断った でも彼らは諦めない

    私も次第に怖くなった

    だってここに私の知り合いは誰もいない

    先生に言う?

    先生は最初の講義が始まる前に言っていた

    チート行為はさせた側もした側もどちらの立場も減点にすると

    しかし、国が違えは文化も違う人達だ

    報復されることが一番怖い

    減点も嫌だが、自分の命の方が大事

    考えすぎかもしれない

    でもここでは自分の事は自分で守らないといけないと

    自分に言い聞かせてみせるようになった

    自分の努力を他人にタダで奪わられる屈辱感

    この3人組と教室で一緒になるたびに動悸が起こり始めた

    このあたりから、ストレスを感じると動悸がでるようになる

    しかし、結果だけは今までと違うことが起きた

  • オーストラリアでの大学生活〜前編〜

    前にも書いたように、オーストラリア生活は私にとって居心地が良かったので

    語学学校→カレッジ→ユニバーシティ

    と時間をかけて進学していった

    大学まで通った理由としては永住権が取りたかったから

    あっ ちょっと自分軸発動してる 笑

    また、オーストラリア時代は日本でなかなかやめられなかった過食も自然とやめられた

    最初は太ったりしてしまうこともあったが

    いつのまにか気にしなくなり

    人生の中で一番勉強していた時期でもあったため、自然と痩せていったからである

    そして、周りに影響されてなのか、少しずつ自分視点で物事を考えるようになった

    どこの大学にいくか、また何を学ぶかも自分で決めた

    しかしこの自分で決めた自分視点の行動がのちにまた自分自身の首をしめることにもなる

    大学生活の始まりは最悪だった

    予期しないことが起きてしまうのが私…

  • オーストラリア

    ここでの生活は孤独を感じてはいたけれど、日本で感じた輪の中にいるようでいない孤独とは違った

    もともと輪の中にいないから

    しかし輪の中にいるように見える人達も共通点があまりみつからない

    お互いの境界線がはっきりとしているように見えたからだと思う

    どんな見た目であろうと自分のスタイルを貫く

    他人も干渉しないし、嘲笑する雰囲気もない

    他人より自分の気持ちを優先する

    他人に何か言われても気にしないんじゃなくて

    各々が自分の気持ちを大事にしているからこそ

    他人に興味がない

    物事や考え方が相手視点じゃなくて

    自分視点なんだと思う

    本当の事はわからないけど

    私の視点からはそう見えたし、とても自由にみえた

    基本的に他人の感情をもらいやすい私自身も理由は違えど他人に興味を持たない

    自分を守るため 疲れてしまうから

    しかし、日本ではこの他人に興味がないことをネガティブな意味で捉えられてしまう事が多かった

    だからオーストラリア生活は孤独だけど居心地が良かったんだ

    と今となっては思う

    しかし、変わっている私

    私の服装や髪型は海外の方からみると、日本人らしくないらしく

    日本人には日本人として認識されるが、他のアジアの国々にもいそうな外見なんだろう

    アジア圏の方々にも間違われることもあった

    現地の言葉で話しかけられたりなど…

    やはりここでも周りが思う日本人のイメージの輪の中にいないらしい

  • 海外生活の始まり

    留学先はオーストラリア

    理由は暖かい場所が良かったから

    寒いのが苦手なので…

    気温で留学先を決めてしまうあたりも、変わってるって言われる原因なんだろう

    しかし、飛行機が苦手な私..

    それまでの渡航経験は飛行機で数時間でいけるグアムしかない

    英語も不安だが何より不安なのは飛行機

    実際、何度か動悸も発生した

    事前に薬も服用したりしていたのでなんとかやり過ごせたけれど

    緊張で一睡もできなかった…

    到着した時は緊張状態が続いた疲労感、

    陸に到着した安堵感、

    9時間乗り続けた自分自身の達成感でごちゃごちゃの感情だった

    他人からすればただの移動手段のひとつだけど

    私にとっては人生かけた大冒険のひとつ

    そのくらいエネルギーが必要なことなのだ

    オーストラリア生活は約3年半続いた

    その中で、やはり変わっているから私だからこそ起きた話を書いていきたいと思う