カテゴリー: 輪の外

  • エゴと愛、自己犠牲

    わたしには二人の子供がいる

    性格も好みも真逆…

    喧嘩もするけど仲はとても良い

    ただ、大変なことはたくさんあった

    わたしのエゴで育てていたときもあった

    周りの視線を気にしていたときもあった

    ひとりは自分の意思を内に秘めるタイプ

    もう一人は自分の意思を外に表すタイプ

    タイプは違えど、私の思い描いていた育児とは程遠い育児だった

    あの時の私は育児で余裕がなくなって、追い詰められていた

    わたしに二人の子供がいるのは

    一人は子どものころのわたし自身を投影させたような存在

    この子はわたし自身の育て直しだと思っている

    もう一人は自分自身を大切にすることを教えてくれる存在

    自分が嫌なことは絶対しないから、今のわたしにとって気づきのような存在

    エゴの視点から見ると、二人とも育てづらいと思う

    もちろん、育児で我慢することが普通だったし、わたしの自己犠牲も進んだように思う

    我慢すれば、全部スムーズにおさまったし、

    自分の感情に蓋をすれば誰も傷つかないって思ってた

    愛の視点からみると、新しいわたしになるための気づきの存在なのかなと思う

    おそらくこの二人を育てることと、自分の気持ちを優先させること、この矛盾した気持ちのどちらも大切に扱うためにはどうしたら良いのかが

    私の今の課題なんだと思う

  • 過去に興味がなくなる理由

    わたしは長期的な目標に興味がない

    未来も過去も、今に重心があるから

    計画的じゃないタイプ

    ほぼ直感で決める

    現実はあとになってわかるから

    もちろん失敗も挫折も後悔も残るときもある

    でも時間がたつと、それがどうでもいいことになるのもわかってる

    だから、苦しい感情に飲み込まれそうになっても、自分で自分の機嫌はとるようにしてる

    自分でやらかしたことは自分のなかで時間をかけて消化する

    誰かに裏切られたと、後でわかってもやり返すことはしない

    それは過去の自分を否定することになるから

    自分の見る目がなかったんだと思うようにしてる

    自分の課題と向き合うきっかけだとわかったから

    やり返さずに、ただ終わりにする

    辛いことはたくさんある

    ただ楽しいこともたくさんある

    一つの縁が終わればまた新しい縁が来ることもわかっている

    だから過去を忘れていくのかもしれない

    ま、波はあるけど

    その揺らぎを味わえるようになったら

    人生楽しめるようになるのかな

  • 他人に興味がないのに、人に関心をもたれてしまう

    前のブログでも少し言及したが、わたしは他人に興味がない

    他人の感情をもらいやすいので疲れてしまう

    ある意味、防衛反応みたいなもの

    ただ、他人からは関心をもたれやすい

    あまり自分から主張しないからか、喋らないからか、また変わっているかはわからない

    周りからみても輪の中にいない私が特異的に見えてるのかもしれない

    関心にはポジティブなもの、ネガティブなものが混同している

    わたしは気づくけど、いつも気づかないふりをしていた

    過去の経験上、、反応するとエスカレートするから

    ここでもまた他人のエゴに巻きこまれる

    いつものパターンに疲弊し、周りに理解されないことに苛立ちをかかえていた時期もあった

    いまは、この前のブログにも述べたが相手の課題を背負わないようにしているので

    落ちることはあるが、前よりは引きずらないようになった

    ただ違う視点からみたら、私は満たされてるようにみえるのかもしれない

    満たされているように見えるから、相手が不満を持っている原因の元を口実に私に口出しをしてくる

    その課題は私じゃなくて、相手の課題

    私をはけ口にしているだけ

    そのことに相手は気づいていない

    優位に立つことに必死なのかもしれない

    でも実際は違う

    自分の機嫌は自分でとっている

    わざわざネガティブなことは話さないだけだ

    それは誰かを傷つけてしまうかもしれないから

    わたしは人に対して最低限のリスペクトを持って対応しているだけ

    そこに気づかない人たちが、表面だけで判断しているのだと思う

    だから私は、わかってもらおうとしすぎないことにした

    関連記事:オーストラリア
  • 愛とエゴ

    愛とエゴは違う

    でもエゴが愛だと思っていたこともあった

    エゴと愛が別であることはおそらく経験しないとわからないと思う

    エゴで育てられた人はエゴが愛だと思うから

    それが連鎖のように続く

    エゴと愛の違いに気づく時

    ものすごく苦しかった

    抜け出したきっかけは

    「型」がない生き方でも書いたが、

    自分を受け入れたときに、子供達に対してやっと「型」を外す事ができた時だ

    ありのままの私を愛そうと決めた時

    自分自身の愛しかたがわからないと愛を与えてあげられないと気づいた時

    でも気づいてしまうと、世の中の見方がまるで変わってしまう

    自分でもびっくりするくらいに…

    しかし私の中にエゴがないかと言えばそれは違う

    エゴはある

    ただその連鎖をやめたいと思っている

    子供達に引き継がせたくないから

    ただ私もよくわかっていないから

    それも私の人生実験の一つかな

    そう多分、葛藤と矛盾は続いていくんだと思う

    関連記事:「型」がない生きかた
  • 矛盾

    よくいくスーパーでみかけるおじいちゃんがいる

    おじいちゃんは80歳らしい

    自転車でスーパーにやってくる

    そしてスーパーの前のベンチがおじいちゃんの指定席

    最初はお互い顔見知り程度だったけど

    夏頃かな?

    「足のネイル、綺麗だね」って声をかけられてから、

    会ったら挨拶したり、一言、二言会話してさよならするようになった

    おじいちゃんはスーパーの店員さんや地域の方々にも認知されているようで

    みんな挨拶したり、一言、二言会話して去っていく

    このくらいの距離感がちょうどいい

    ちょっと顔見知り、でも深くは知らなくていい

    人間関係って付き合いが長かったり、深く付き合いだすと、エゴがでてくるから

    でも深く繋がりたい気持ちもわかる

    私自身も、狭く深くの付き合いのが好きだったから

    そう、常に矛盾してる

    でも人ってみんな矛盾してる

    他人の矛盾には敏感に反応して攻撃してくるのに、自分の矛盾には見て見ぬふりをする

    だから、他人のことにわざわざ口だすこの風潮があまり好きじゃない

    私には、自分で自分の首をしめているようにしか思えない

  • 境界線とエゴ

    前の話とは少し違う話になるけれど

    私は思考が急に飛ぶタイプで、一つの話題の中でも他の人からみたら話が繋がらないことがある(私の中では繋がっているから説明ができない)

    だからよく会話をしていても、周りからすれば?なことが多々ある

    それも含めて、私のありのままとして書いていきたい

    前回のブログを書きながら、もう一つ気づいたことがある

    組織や人間関係での境界線の曖昧さは、私自身が引き寄せたものかもしれない

    でも、人って写し鏡みたいなもので

    その人自身が普段抑えているネガティブな感情を、わたしがあけてしまっているんじゃないかと思う

    そして、私自身は相手を尊重したいから、下手にでたりしていたが

    それは相手のエゴを引き出し続けてしまっていたんじゃないかと…

    争いが嫌いだから、相手を傷つけたくないからってやっていた事が全部裏目にでて

    知らない間に、関係が歪んでいって苦しくなってしまうのかなと

    また、これは、個人同士の問題だけじゃないのかもしれない

    資本主義な世の中では、競争や比較が煽られるから、人間も知らず知らず、エゴが肥大化しているような気がする

  • 第二章 輪の外…再び

    先日、凸凹だった発達検査を持って行って心療内科を受診した

    私の凸凹は発達障害と診断される凸凹とも違うようだった

    かといって、普通と呼ばれる大多数とも違っていて

    どこにも属していない

    ここでも私は輪の外だった

    カウンセリングをすすめられたけど、それは大多数の人達との円滑な人間関係をすすめるためのもので…

    それって=私の特性を大多数に合わせていく感じなのかなと思って

    結局、世の中は大多数の人達のために存在するのであって

    私みたいに、輪の中にいない存在は、大多数に合わせるために物凄いエネルギーを使って寄せていかないといけないのかと

    私が生まれてきた意味はなんなんだろうって

    思いながら…帰宅した