カテゴリー: 社交不安障害

  • 適応障害

    適応障害と診断された日…

    10年以上前に社交不安障害と診断された時と同様に、涙が溢れ出た

    ただ、昔と違ったのは、その日にカウンセリングを受け、その後も心療内科へ通い続けたこと

    その日に話を聞いてくれた心理士の方は、私の話を聴きながら、こう言った

    「今日来ていなかったら、数ヶ月以内に鬱になっていただろう」

    ここに来ていた時点で、私はかなりの抑うつ状態であったのだ

    自分も周りも気づいていなかった、私の中でくすぶり続けていた問題

    そんな話をしながら、私はまだ最後に笑顔でいなきゃといつづけた

    泣いても最後は笑顔で会話を終わらしたい

    頭の中ではお礼を言わなきゃとかばかり考えていた

    そんな時にまで、人のことばかり考えている自分に、我ながら闇が深いと思う

    笑ってごまかすことが、いつの間にか癖になっていたのだ

    しかし、ここからがまだ長い

    診断を受けたところですぐには良くならないし、気分の浮き沈みも激しい

    それでも、いつから働けるのかを考え、求職活動まで行ってしまっていた

    休むべき時期に、また動こうとしていたのだ

    人は簡単には変われない

  • 「型」の押し付け

    我が子に、自分が生きてきた「型」を、無意識に押し付けようとしていた

    その事に気づき、そこから本当に抜け出すまで、実は6年かかった

    子供の発達障害がわかってから、私自身がその「型」から本当に抜け出すまでの年月だ

    診断を受けてから

    幼児期は幼児発達支援センターにも通って発達障害の勉強もした

    学童期は月2回の発達障害児用の定期指導も子供に受けさせていた

    それでも、私自身が気づいて抜け出す事は出来なかった

    わかっているようで全くわかっていなかったからだ

    わかっているつもりの時ほどほんとはわかっていない

    それを実感した出来事があった

    抜け出したきっかけだ

    皮肉にもそれは私が適応障害になった事で霧が晴れ始めたのだ

    心療内科に通い、カウンセリングを受けていくなかで気付かされたと言った方がいいかもしれない

    適応障害になったきっかけは、今までと同じ

    職場環境が一番大きい

    輪の中にいるようでいなかった

    というか、輪の中にいなかった、ずっと

    人間関係のもつれから、浮いてしまった

    境界線を引くことが、私はずっと苦手だったのかもしれない

    周りがみてる世界と私がみてる世界が全く違ったのだ

    また社交不安障害が奥底でずっとくすぶっていたから、ストレス耐性も低いままだった

    そして、今回は自覚してるより深刻で様々な不調が身体に出ていたが、私自身が見てみぬふりをして働きつづけたこと

    さらに、同時期に子供にも塾に通わせ始めたが馴染めず、腹痛などを訴えるようになったこと

    これらが重なって、適応障害という形で限界がきたのだと思う

  • 社交不安障害をかかえたまま

    この時ですでに3度の転職

    日本ではあまり歓迎されない働き方だろう

    友人にも「すぐ辞めてしまうのはどうなんだろう 履歴書を汚しているような気がする」と言われた事もある

    真面目に働きすぎ 不器用すぎ ある程度は適当にやらないと じゃないと持たないよと

    私は確かに一生懸命だ

    その理由は私は組織の中のひとつの歯車だと思っていたから

    真面目に働く事で、組織全体の売上に繋がれば従業員に還元されるものと思っていたのだ

    でも組織故に、色々な考え方、働き方の人がいる

    他人に自分の仕事を押し付けることはしなかったが

    疎ましく思われたり

    逆に、利用されそうになったりする

    言動も変わっているのもあるのだろう

    とにかく浮いてしまうのだ

    そして、数年働いた後、結婚を機に退職した

  • 動悸と社交不安障害

    海外に行く前から緊張しいで、面接はもともと苦手だったが

    帰国後は更に悪化し、転職活動の度に動悸がひどくなっていった

    そして、ここから転職を繰り返す日々が続く

    ストレスがかかると動悸が発生することが増え、心身に支障をきたすようになったのだ

    とはいえ、最初は動悸の原因がわかっていなかったので

    数年間、循環器内科で定期的に検診を受けていた

    心臓の働きも弱かったし、不整脈もあったので、ずっと様子をみていたのだ

    数年間、様子を見ながら通院していたが、私の心が悲鳴をあげたのだろう

    いつも通り会社に出勤しようとしたある日、私の足は無意識に病院に向かっていた

    その時だったと思う

    先生から一言「心療内科に言った方がいい」と言われ、泣き崩れたのだ

    その後、心療内科で診断されたのが

    社交不安障害

    当時は心療内科に通うにも世間の目が気になる時代

    仕事は辞めたが、心療内科に通い続ける事はしなかった

    また、私の親もメンタルの弱さと考えていたため

    親は、社交不安障害という診断を受け入れられなかった

    そして、数ヶ月休んでまた違う会社に転職した

    根本的には何も解決していないのに