カテゴリー: 適応障害

  • 「型」がない生きかた

    適応障害からの回復には、結局1年半かかった

    「人は簡単には変われない」——そう痛感した日々の続きから、この話は始まる

    そして、今も回復したとはいいきれない日々だ

    ただ、以前だったらこのようなブログを書いていたら、その時の気持ちにのまれて、動悸が起きたり、涙が止まらなくなっていたと思う

    今は、冷静に当時の記憶を掘り起こしながら書いている

    そんな今だからこそ、見えてきたことがある

    もともと輪の中にいなかった私

    それを、ずっと私自身の弱さだと思っていた

    でも、それは私の特性の一つなんだと、私自身が認めてあげられた

    私が見てる世界と、みんなが見ている世界は違う

    だから、私の考えや価値観がみんなと分かり合えなくてもいいと、心から思えるようになったこと

    自分自身の道を模索して生きていくことが、私の生きる道なんだと思えたこと

    そして、このブログを書き始めたのも、私なりの人生実験のひとつだ

    そう、自分を受け入れた時に、子供に対してやっと「型」を外すことができた

    もちろん「型」がないから、先は全然どうなるかはわからない

    私は、このブログが、誰かの答えになることは望んでいない

    ただ、誰かが自分自身の道を見つけるための、小さなきっかけになれたら嬉しい

  • 適応障害

    適応障害と診断された日…

    10年以上前に社交不安障害と診断された時と同様に、涙が溢れ出た

    ただ、昔と違ったのは、その日にカウンセリングを受け、その後も心療内科へ通い続けたこと

    その日に話を聞いてくれた心理士の方は、私の話を聴きながら、こう言った

    「今日来ていなかったら、数ヶ月以内に鬱になっていただろう」

    ここに来ていた時点で、私はかなりの抑うつ状態であったのだ

    自分も周りも気づいていなかった、私の中でくすぶり続けていた問題

    そんな話をしながら、私はまだ最後に笑顔でいなきゃといつづけた

    泣いても最後は笑顔で会話を終わらしたい

    頭の中ではお礼を言わなきゃとかばかり考えていた

    そんな時にまで、人のことばかり考えている自分に、我ながら闇が深いと思う

    笑ってごまかすことが、いつの間にか癖になっていたのだ

    しかし、ここからがまだ長い

    診断を受けたところですぐには良くならないし、気分の浮き沈みも激しい

    それでも、いつから働けるのかを考え、求職活動まで行ってしまっていた

    休むべき時期に、また動こうとしていたのだ

    人は簡単には変われない

  • 「型」の押し付け

    我が子に、自分が生きてきた「型」を、無意識に押し付けようとしていた

    その事に気づき、そこから本当に抜け出すまで、実は6年かかった

    子供の発達障害がわかってから、私自身がその「型」から本当に抜け出すまでの年月だ

    診断を受けてから

    幼児期は幼児発達支援センターにも通って発達障害の勉強もした

    学童期は月2回の発達障害児用の定期指導も子供に受けさせていた

    それでも、私自身が気づいて抜け出す事は出来なかった

    わかっているようで全くわかっていなかったからだ

    わかっているつもりの時ほどほんとはわかっていない

    それを実感した出来事があった

    抜け出したきっかけだ

    皮肉にもそれは私が適応障害になった事で霧が晴れ始めたのだ

    心療内科に通い、カウンセリングを受けていくなかで気付かされたと言った方がいいかもしれない

    適応障害になったきっかけは、今までと同じ

    職場環境が一番大きい

    輪の中にいるようでいなかった

    というか、輪の中にいなかった、ずっと

    人間関係のもつれから、浮いてしまった

    境界線を引くことが、私はずっと苦手だったのかもしれない

    周りがみてる世界と私がみてる世界が全く違ったのだ

    また社交不安障害が奥底でずっとくすぶっていたから、ストレス耐性も低いままだった

    そして、今回は自覚してるより深刻で様々な不調が身体に出ていたが、私自身が見てみぬふりをして働きつづけたこと

    さらに、同時期に子供にも塾に通わせ始めたが馴染めず、腹痛などを訴えるようになったこと

    これらが重なって、適応障害という形で限界がきたのだと思う