カテゴリー: 境界線

  • 他人に興味がないのに、人に関心をもたれてしまう

    前のブログでも少し言及したが、わたしは他人に興味がない

    他人の感情をもらいやすいので疲れてしまう

    ある意味、防衛反応みたいなもの

    ただ、他人からは関心をもたれやすい

    あまり自分から主張しないからか、喋らないからか、また変わっているかはわからない

    周りからみても輪の中にいない私が特異的に見えてるのかもしれない

    関心にはポジティブなもの、ネガティブなものが混同している

    わたしは気づくけど、いつも気づかないふりをしていた

    過去の経験上、、反応するとエスカレートするから

    ここでもまた他人のエゴに巻きこまれる

    いつものパターンに疲弊し、周りに理解されないことに苛立ちをかかえていた時期もあった

    いまは、この前のブログにも述べたが相手の課題を背負わないようにしているので

    落ちることはあるが、前よりは引きずらないようになった

    ただ違う視点からみたら、私は満たされてるようにみえるのかもしれない

    満たされているように見えるから、相手が不満を持っている原因の元を口実に私に口出しをしてくる

    その課題は私じゃなくて、相手の課題

    私をはけ口にしているだけ

    そのことに相手は気づいていない

    優位に立つことに必死なのかもしれない

    でも実際は違う

    自分の機嫌は自分でとっている

    わざわざネガティブなことは話さないだけだ

    それは誰かを傷つけてしまうかもしれないから

    わたしは人に対して最低限のリスペクトを持って対応しているだけ

    そこに気づかない人たちが、表面だけで判断しているのだと思う

    だから私は、わかってもらおうとしすぎないことにした

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  • 愛とエゴ

    愛とエゴは違う

    でもエゴが愛だと思っていたこともあった

    エゴと愛が別であることはおそらく経験しないとわからないと思う

    エゴで育てられた人はエゴが愛だと思うから

    それが連鎖のように続く

    エゴと愛の違いに気づく時

    ものすごく苦しかった

    抜け出したきっかけは

    「型」がない生き方でも書いたが、

    自分を受け入れたときに、子供達に対してやっと「型」を外す事ができた時だ

    ありのままの私を愛そうと決めた時

    自分自身の愛しかたがわからないと愛を与えてあげられないと気づいた時

    でも気づいてしまうと、世の中の見方がまるで変わってしまう

    自分でもびっくりするくらいに…

    しかし私の中にエゴがないかと言えばそれは違う

    エゴはある

    ただその連鎖をやめたいと思っている

    子供達に引き継がせたくないから

    ただ私もよくわかっていないから

    それも私の人生実験の一つかな

    そう多分、葛藤と矛盾は続いていくんだと思う

    関連記事:「型」がない生きかた
  • AIドラマ

    普段、テレビをみない私

    感情もらってしんどくなったり

    理由はわからないけどノイズに感じてしまったりするから

    昔はテレビ好きだった

    出産してからみなくなって

    いつからかノイズになった

    エンタメが私にとって娯楽ではなく虚像にみえるようになったからかな

    でも中身はリアルな人間

    そんな人間たちの虚像に興味がなくなったのかも

    そんな私は最近 AIドラマにはまっている

    AIだから存在自体が虚像

    虚像が虚像を生み出す

    でも感じる感情はリアル

    感情移入しちゃうけど、リアルな人間じゃないから

    安心してみられるのかな

  • ことばたらず

    前回のブログにも書いた

    思考が急に飛ぶ話

    でも私の中で繋がってるから説明できない

    ある意味アイデアみたいなもの

    これは人によって、ことばたらずな人と思われてしまう

    実際、発達検査の結果でも

    言葉の意味を知らなくても、話の流れで理解ができる

    その上、処理速度も早い

    相手の表情、ジェスチャー、過去のパターンから推測して動くから

    直感で動く力や、表情や空気を読む力が人よりだいぶ強い

    いわゆる、非言語能力が高い

    しかし、それを言葉で説明する力は、逆にすごく弱い

    その差が大きいから「分かってるのに説明できない」人だと思われる

    その非言語能力と言語能力の差異が、ときに、相手のエゴを刺激するのかもしれない

    でも本質はみえてしまったりするから、言葉には出さなくても心の中で葛藤をうむ

    そして、相手は気づかないまま、助長していくから

    身体が悲鳴をあげるようになってしまうのか

  • 境界線とエゴ

    前の話とは少し違う話になるけれど

    私は思考が急に飛ぶタイプで、一つの話題の中でも他の人からみたら話が繋がらないことがある(私の中では繋がっているから説明ができない)

    だからよく会話をしていても、周りからすれば?なことが多々ある

    それも含めて、私のありのままとして書いていきたい

    前回のブログを書きながら、もう一つ気づいたことがある

    組織や人間関係での境界線の曖昧さは、私自身が引き寄せたものかもしれない

    でも、人って写し鏡みたいなもので

    その人自身が普段抑えているネガティブな感情を、わたしがあけてしまっているんじゃないかと思う

    そして、私自身は相手を尊重したいから、下手にでたりしていたが

    それは相手のエゴを引き出し続けてしまっていたんじゃないかと…

    争いが嫌いだから、相手を傷つけたくないからってやっていた事が全部裏目にでて

    知らない間に、関係が歪んでいって苦しくなってしまうのかなと

    また、これは、個人同士の問題だけじゃないのかもしれない

    資本主義な世の中では、競争や比較が煽られるから、人間も知らず知らず、エゴが肥大化しているような気がする