カテゴリー: 発達障害

  • 「型」の押し付け

    我が子に、自分が生きてきた「型」を、無意識に押し付けようとしていた

    その事に気づき、そこから本当に抜け出すまで、実は6年かかった

    子供の発達障害がわかってから、私自身がその「型」から本当に抜け出すまでの年月だ

    診断を受けてから

    幼児期は幼児発達支援センターにも通って発達障害の勉強もした

    学童期は月2回の発達障害児用の定期指導も子供に受けさせていた

    それでも、私自身が気づいて抜け出す事は出来なかった

    わかっているようで全くわかっていなかったからだ

    わかっているつもりの時ほどほんとはわかっていない

    それを実感した出来事があった

    抜け出したきっかけだ

    皮肉にもそれは私が適応障害になった事で霧が晴れ始めたのだ

    心療内科に通い、カウンセリングを受けていくなかで気付かされたと言った方がいいかもしれない

    適応障害になったきっかけは、今までと同じ

    職場環境が一番大きい

    輪の中にいるようでいなかった

    というか、輪の中にいなかった、ずっと

    人間関係のもつれから、浮いてしまった

    境界線を引くことが、私はずっと苦手だったのかもしれない

    周りがみてる世界と私がみてる世界が全く違ったのだ

    また社交不安障害が奥底でずっとくすぶっていたから、ストレス耐性も低いままだった

    そして、今回は自覚してるより深刻で様々な不調が身体に出ていたが、私自身が見てみぬふりをして働きつづけたこと

    さらに、同時期に子供にも塾に通わせ始めたが馴染めず、腹痛などを訴えるようになったこと

    これらが重なって、適応障害という形で限界がきたのだと思う

  • 診断後…

    診断を受けた際の気持ちは「やっぱりそうだったんだ」

    という安堵感が大きかったように思う

    産まれてから、なんか周りと違うような違和感を無意識に感じていたから

    でも周りと私とで見ている世界が違っていて

    周りの基準に必死にあわせようとしていた

    合わせることに必死で、自分がどう感じているかは後回しだった

    しかし、まだこの時点での私は

    発達障害というものを完全に理解したわけではない

    発達障害を持ちながら、普通の人達と上手く付き合えるにはどうしたらよいかばかり考えてた

    パートも始めていて、自分自身に余裕がなかった

    そうやって、私はまた「合わせること」を子供にも求めていた

    我が子にも自分が生きてきた

    輪の中にいるようでいない生活をさせようとしていたのだ

    それも無意識に

  • 発達障害の診断

    産後、生後2ヶ月の第二子を連れながら、また新しい幼児教室に通い始めた

    その幼児教室は母子分離で行われる

    私が過干渉にならない状況を選んだのだ

    問題は私自身の内側にあるのに、ずーっと外側に正解を求めていた

    自分の体力も復活していない時期から、必死だったのだ

    このあたりから私自身も咳喘息にかかったり、体調を崩すことが増えた

    身体にもサインが出ていたのに、当時は気づく余裕がなかった

    しばらくして、3歳児健診の案内が来た

    健診はなんとか無事に終わったが

    最後の育児相談で我が子の言葉の不明瞭さを相談し、専門医に診てもらえることになった

    しかし、とても混雑していて

    実際に診てもらえたのは半年後…

    発達障害の診断がおりたのは、その数ヶ月後だった