カテゴリー: 幼児教室

  • 発達障害の診断

    産後、生後2ヶ月の第二子を連れながら、また新しい幼児教室に通い始めた

    その幼児教室は母子分離で行われる

    私が過干渉にならない状況を選んだのだ

    問題は私自身の内側にあるのに、ずーっと外側に正解を求めていた

    自分の体力も復活していない時期から、必死だったのだ

    このあたりから私自身も咳喘息にかかったり、体調を崩すことが増えた

    身体にもサインが出ていたのに、当時は気づく余裕がなかった

    しばらくして、3歳児健診の案内が来た

    健診はなんとか無事に終わったが

    最後の育児相談で我が子の言葉の不明瞭さを相談し、専門医に診てもらえることになった

    しかし、とても混雑していて

    実際に診てもらえたのは半年後…

    発達障害の診断がおりたのは、その数ヶ月後だった

  • 退塾後…

    初めての幼児教室を辞めたあと、しばらくは習い事に行かなかった

    第二子がお腹の中にいたからという理由もある

    しかし、頭の中では出産後に乳児期を連れていける第一子の次の習い事を考えていた

    発音が少し不明瞭な部分があったり、圧倒的な語彙の少なさがあったからだ

    だから、少しでも喋ったりしていたら動画で撮るようにしてた

    子供の為でもあり、自分の為でもあり、家族にみせる為でもあった

    自分の不安な気持ちを落ちつかせる為と言った方が近いかもしれない

    私は私なりに我が子の育児に向き合っているという記録が欲しかったのかもしれない

    この時代の私は周りから教育ママと言われたが

    本当はそうじゃない

    もし、今の私が当時の私に伝えることができるとしたら

    子供も大事だけど、自分を大切にしてほしい

    まずは、自分の心のケアが大事なんだよと伝えてあげたいくらい

    私の見ていた世界は不安という名の霧の中をずっと手探りで歩いていた

    普通の人はどうやってここを抜け出したのだろうか、そもそも霧の中にいないのだろうか

    出口がわからないまま

    一人で試行錯誤していたのだ

    もしかしたら、霧が晴れた場所から「大丈夫だよ」と声をかけてくれた人がいたかもしれない

    でもその声が私の中に届かないくらい不安の霧は濃かったんだと思う

  • 初めての幼児教室

    幼児教室に行き始めたきっかけは

    やはり自分自身の育児の自信の無さが一番だったと思う

    市で開催される母親交流会など、1度行ってみたが

    ここでも浮いてしまう感覚があり、行きづらくなった

    今思えば、以前、診断された社交不安障害がずっと私の根底にあったのだと思う

    診断後、世間体を気にして通院もしていなかったから

    私が見ている世界は、ずっともやがかかっていたのだと…

    そのことに気づくのは10年後の事だった(この話はまたいずれ書く予定)

    少し、脱線したが、私が過干渉と言われた主な原因は子供の言動を見守ることが出来なかったからだ

    隣で口だししたり、手本を見せたりしてしまう

    私としては心配が故だったが、私の母も一緒にきていたりしていたため

    母に変に思われたくなくて

    親の顔色をここでも伺っていたのだと思う

    自分の子供が産まれても

    私は顔色を伺うくせがずっと続いていたのだ

    しかし、その時は私自身気づいていなかった

    そして、私の身近な家族も気づいていない

    それが普通だったから

    なので、過干渉と言われた時に、私がしていることは間違いなんだろうかと泣いた

    ここでも正解をもとめていたんだろう

    育児に正解なんてないのに

    まさか泣くとは先生も思っていなかっただろうが、その時の記憶があまりない

    そんな事があっても通いつづけたが、引越しをきっかけに辞めた

    リセット癖再発…